

小説 君との思い出を巻き戻して
Story by Curewell
【登場人物】
航平(こうへい):主人公。大学時代のバンド「Cassette Tape」のギターボーカル。今は広告代理店で働く平凡な社会人。
結(ゆい):キーボード担当。航平の元恋人。現在は中学校の音楽教師。
拓人(たくと):ベース。お調子者でムードメーカー。今も音楽活動を続けている。
美晴(みはる):ドラム。現在は結婚し、音楽から距離を置いた生活をしている。
プロローグ
雨上がりの午後。
オフィスの喧騒が落ち着いた15時すぎ、航平は何気なくデスクの引き出しを開けた。
書類の束の奥に、薄い青のCDケースが挟まっているのを見つける。
ケースを開けると、中には1本のカセットテープ。
マジックで手書きされた文字が、少し色褪せていた。
「KIMI TAPE 2009」
「……これ、まだ残ってたんだ」
ポケットからスマホを取り出し、ネットで“カセットウォークマン 中古”と検索した。
その日の夜、届いたばかりのラジカセにテープを差し込む。
モーター音と共に、くぐもったイントロが流れ出した。
そして最後に――彼女の声が、そっと忍び込むように流れた。
「私はあなたを忘れないよ。……いつか、また音楽ができたらいいね」
あの夏の記憶が、胸の奥でゆっくりと、巻き戻っていった。
第1章 Cassette Tapeという名前のバンド
大学2年の春。
航平、結、拓人、美晴の四人は、学園祭に向けてバンドを結成した。
「なんかさ、音って巻き戻せないじゃん。だから、カセットっていいと思うの」
結がそう言って笑ったとき、航平は少し驚いた。
無口でどこか影のある彼女が、音に対しては誰よりも熱を持っていると知った瞬間だった。
バンド名は自然と「Cassette Tape」に決まった。
初めて作ったオリジナル曲のタイトルは――「君との思い出を巻き戻して」。
部室の片隅、古びたYAMAHAのキーボードを弾く結の横顔を、航平はいつも横目で見ていた。
曲作りに悩むたび、結は窓の外を見つめ、何かを探しているようだった。
「ねえ、こうへい。もしさ、10年後にこの曲聴いたら、どう思うかな」
「きっと泣くと思う」
「……あたしも」
その頃、四人には未来が見えていなかった。だからこそ、音楽がすべてだった。
第2章 それぞれの選択
夢のようだった日々は、卒業とともに少しずつ変わっていった。
就職、恋愛、社会人としての生活。
誰もが現実に追い立てられた。
結は音楽教師の道を選んだ。
「子どもたちに教えるって、案外楽しいんだよ」
そう笑って言ったけれど、その声には少しの寂しさが混じっていた。
航平と結は、自然と距離ができていた。
あの頃のように、深夜のスタジオで言葉を交わすこともなくなった。
最後のライブの日、結は何も言わずに「またね」と笑った。
その背中を見送りながら、航平は言葉を飲み込んだ。
「またね」は、“さようなら”の代わりだと知っていたから。
第3章 再会
あのカセットの声を聴いた夜、航平はふいに拓人に連絡を取った。
「なあ、一度でいいから、あの曲……もう一度やらないか?」
拓人は驚きながらも、「バンド名で検索されたら僕たちの過去がバレバレだね」と冗談を飛ばした。
美晴は最初、戸惑っていた。子育ての合間に時間を作るのは簡単じゃない。
それでも三人は、古びたスタジオに集まった。
あの頃と同じ匂い。汗、アンプの埃、そして微かな青春の残り香。
リハーサルが始まる直前、扉がゆっくりと開いた。
キーボードケースを抱えて、結が立っていた。
風に揺れる前髪を押さえながら、少し照れくさそうに言った。
「……巻き戻しに来たの」
誰も言葉が出なかった。ただ、音がすべてをつないでくれる気がした。
第4章 君との思い出を巻き戻して
演奏が始まった。
15年前と同じキー、同じテンポ、でも音だけが少し大人になっていた。
結のキーボードが静かに旋律をなぞり、航平のギターが切なさをかき鳴らす。
拓人のベース、美晴のドラム。それぞれの音が、過去と現在をつないでいく。
“君との思い出を巻き戻すことができたら”
最後のフレーズを歌い終えたとき、誰も何も言わなかった。
でも、みんなの目に光る涙が、それぞれの15年を物語っていた。
エピローグ
1年後。
動画サイトにアップされたライブ映像は、ゆっくりと再生数を伸ばしていた。
「同世代の涙腺に刺さる」「これは宝物だ」そんなコメントが並ぶ。
航平の部屋の棚に、あのカセットが今も置かれている。
ラベルの横に、結が書き足した小さな一言。
「巻き戻した先に、また始まりがあると信じてる」
それは、もう一度“音”でつながった四人の、新しいスタートだった。
1st 2025.4.22
2025 Curewell All rights reserved
あとがき
人って、同じ方向を向いていたはずなのに、人生の岐路に立ったとき、ほんの少しのズレが、やがて大きな距離になることがある。
航平と結もきっと、そうだったんだろう。お互いに嫌いになったわけじゃない。ただ、“未来の形”が違っていた。
大学4年、就職活動が始まると、現実って急に濃くなる。
「これからどう生きていくか」なんて、まだ答えが出ていないのに、選ばなきゃいけない。
夢や仲間より、「安定」や「責任」って言葉が大きくのしかかってくる。
結の「案外楽しいんだよ」という言葉の奥には寂しさがある。
ふたりの心が離れた理由に「悪者」はいなくて、ただ、それぞれが“ちゃんと大人になろうとした”結果なんだろう。
航平が再会した結に、あの時飲み込んだ言葉をもう一度伝えるだろうか。
ガロが歌う「学生街の喫茶店」や、ばんばひろふみの「いちご白書をもう一度」が、このテーマを歌っている。
人は就職のために、学生時代に大切だったものを捨てなければいけないような錯覚に陥る。それが大人になることなんだって、自分に言い聞かせて。
たぶんあの時代の人たちも、僕らと同じように「ちゃんとしなきゃ」「夢ばかりじゃ食えない」って思いながら、どこかで「でも…あれが一番、自分らしかったな」って振り返ってたんだろう。
“大人になること”って、時には何かを手放すことと勘違いしやすい。
けれど本当は、大切なものを忘れないまま“社会を生き抜く”ことだって、きっと、もうひとつの「大人の在り方」だと思う。
「君との思い出を巻き戻して」って、そのもう一つの在り方に気づく物語かもしれない。
もしもタイムマシンがあったら、あの頃の結に、どんな言葉をかけてあげるだろうか。それとも、また何も言わないままだろうか。
僕ならば…。
22th April 2025
Curewell